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ビザンツ帝国の十字軍とは?バシレイオス1世|世界史勉強法

■バシレイオス1世とマケドニア朝

9世紀に突入する頃には、バシレイオス1世(867年~886年)によるマケドニア朝の時代が始まります。

 

この時代になるとビザンツ軍は威力を増し、イスラム勢力から南イタリアの一部を奪い、北方のブルガリア帝国を壊滅させたことで

ビザンツ帝国の領土はあっという間に広がっていきました。

 

また、テマ制で征服地が治められていたことから、平穏な時期が訪れたのです。

 

しかし、周辺地域に大土地所有者が出現したことから、土地を無くした自由農民が急増してしまいました。

この自由農民の没落は、古代ギリシアと同様に国内に混乱を招いてしまうのです。

 

さらに、国内では貴族と宮廷が争ったり、セルビアやブルガリアなどの反乱に悩まされる中で

セルジューク朝が小アジアに進出して行ったり、南イタリアにもノルマン人が侵入してくるなどして

ビザンツ帝国は次第に内部と外部から衰退し始めていきます。

 

 

■ビザンツ帝国の衰退

悪い状況が続き、ビザンツ帝国は衰退のスピードを速めていきます。

 

アレクシオス1世(位1081年~1118年)は、11世紀末に宮廷が争った末に帝位に就き、コムネノス朝を開きました。

彼はまず、国内で起きた混乱を鎮めるため、プロノイア制という貴族たちに軍事奉仕を条件として公有地の管理を任命する制度を作り

ひとまず国内は落ち着きを取り戻すことが出来ました。

 

※西ヨーロッパの封建制度と酷似しているプロノイア制ですが、当初土地管理は一代のみとされていたのが

徐々に子孫が譲り受けることを許可されていき、その結果、帝国が分裂していくきっかけとなってしまうのです。

 

 

■十字軍の登場

その一方で、アレクシオスはセルジューク朝の侵攻に非常に苦しんでいました。

そこで、長く対立していた西ローマ教会に助けを求めることにします。

 

これが、その後の十字軍遠征の始まりとなるのです。

 

一時的に聖地を取り返した十字軍でしたが、第4回十字軍でベネチア商人の進言によって

コンスタンティノープルが奪われた後に占領されてしまい、ビザンツ帝国を失ってしまいます。

 

そして、第4回十字軍がコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国領内に建設したのがラテン帝国になります。

 

※実はこの時、ビザンツ帝国とベネチアは東方貿易の商圏を巡って争っている最中だったため、

 第4回十字軍はベネチアに同意して、コンスタンティノープルを攻めたのだそうです。

 

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