武蔵小杉の完全1対1の個別指導塾・予備校

Withdom武蔵小杉校の連絡先 Header counseling1 eff673807c041ae2941ec6d50ae494cb2b04d9055de0b4781717bb74b963ae20 Header counseling2 07baea8b0da013d0b6a6e8d3a463fc77e5a0da56643a748eb1757d19124cf126
>

ペルシア戦争!ギリシアとアケメネス朝を説明!|世界史勉強法

≪巨大帝国≫アケメネス朝ペルシア

発展と共に東オリエント諸国と交易を始めたギリシアは、その後様々な交流を行います。

 

ですが、この時期のオリエントにはギリシア地域を支配下に置こうとする

アケメネス朝ペルシアという巨大帝国が存在していました。

 

ダレイオス1世について

ダレイオス1世が治めていた当時のアケメネス朝ペルシアは最盛期で、

王の道』と呼ばれる首都スサから征服地であるリディアの首都サルデスまでの幹線道路を建設したり、

領土内において貨幣の使用を積極的に促すことによって、巨大帝国を作り上げました。

 

さらに、アケメネス朝は徐々に西方のギリシア地方を支配しようと目論むようになり、

イオニア諸都市の支配をきっかけに、傀儡政権を実現するため、ギリシアの各ポリスに

僭主という独裁者を生み出そうと企んでいました。

 

ペルシア戦争勃発までの経緯

こうしてギリシア社会と巨大帝国アケメネス朝ペルシアの対立が深まっていく中で

紀元前499年、イオニア地方のミレトス(紀元前494年に占領・破壊された都市)を中心として

ダレイオス1世の支配からの解放を望む反乱が起こるのです。

 

この反乱は一時的なもので、圧倒的な国力によって鎮圧されました。

しかし、専制政治に対抗する民主制ポリスの代表のアテネが

この反乱に援軍を送ってしまったことで、状況は悪化してしまいます。

 

ギリシアの他のポリスが、支配地域の反乱軍に加担したことを知ったダレイオス1世は

ギリシア侵攻を本格的に始めてしまうのです。

 

このように、ギリシアの諸ポリスとアケメネス朝ペルシアの間で、3回に渡って行われた反乱がペルシア戦争になります。

Withdomのロゴ

株式会社tyotto TEL:044-819-5113
〒211-0063 神奈川県川崎市中原区小杉町 1-403
小杉ビルディング新館404