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2015/12/17 22:37 更新
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55年体制とは? 自民党優位の政治なんです‼︎

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金谷レイ

55年体制とは?

 第二次世界大戦後、国会では保守と革新の両勢力が、さらに分裂して多数を争っていました。社会党の芦田均が総理大臣になったほかは吉田茂をはじめとして保守陣営が政権を握っていました。この対立は単なる政策の問題ではなく、冷戦という国際環境の中で、東西どちらの陣営に属するか、という問題をも含む、重大なことでした。

 大きな変化があったのは1955年でした。一時政権を握った社会党は、内部での路線対立から左派と右派に分裂し、対立していました。しかしこれでは政権を取れないことから、左右社会党が合同してひとつの勢力に戻ったのです。

 これに危機感を感じたのは、保守陣営でした。革新勢力に議会を押さえられてしまわないため、自由党と日本民主党は保守勢力同士の合併を決意し、同じく1955年に自由民主党を結成します。保守の自由民主党、革新の日本社会党という2つの勢力、いわば二大政党が結成され、政治が運営されていくことになったことから、その年にちなんでこれを55年体制と呼びます。

特徴:自民党の優位を前提とした政治

 55年体制は、擬似的な二大政党制と、自民党と官僚との密接な協力が特徴といえます。

 55年体制が自民党と社会党の対立であったとはいえ、その実態は二大政党制ではなく、自民党が優位であることを前提としていました。これは、単に国会で自民党が必ず多数を占めている、というのみではありません。社会党はそもそも、衆議院の定数の半分未満の候補者しか立候補させておらず、最初から政権を獲得する気がありませんでした。社会党の目的は国会の3分の1以上を必ず占めること、つまり憲法改正を阻止することでした。つまり、自民党が常に政権を握ることが前提だったのですね。この状況を揶揄して、「1と2分の1政党制」などと言ったりもします。

 国会だけでなく、行政も自民党優位が前提となっていました。行政、つまり官僚も、自分の担当する分野に関心のある国会議員と親しく付き合って望ましい政策を実現しようとしていました。のみならず、場合によっては国会議員同士の利害調整まで官僚が行うこともありました。国会議員の側も、自分の選挙区に有利な政策が実施されるように官僚に働きかけることが、日常茶飯事でした。

 野党である社会党の行動もまた、自民党優位を前提としていました。国会での多数は自民党が有しているため、自らの主張はそのままでは通りません。そのため、国会では派手にパフォーマンスをし、ときには乱闘もして、反対気分を盛り上げます。一方で、自民党とは国会対策委員どうしで綿密に協議し、どこまで対立を盛り上げるか、どこで妥協するか、ということを打ち合わせていました。いわばプロレスで、このような政治のあり方を国対政治といいました。

55年体制の崩壊と細川連立政権

 55年体制は高度成長に支えられて、安定的な政治として機能してきました。しかしシステムに綻びはつきものです。1980年代の中曾根総理のあとには、短命の政権が続いていました。ちょうどこの時期には、バブル経済とその崩壊も重なり、政治のみならず経済も不安定になりはじめていました。

 ちょうどこの時期に、自民党内の最大派閥である経世会(竹下派)でも、路線対立がありました。その一方の当事者が、今も剛腕で有名な小沢一郎でした。

 自民党弱体化の兆しは、1989年にまず出ました。この年の参議院選挙の特徴は「マドンナ旋風」と呼ばれ、社会党の土井たか子委員長をはじめとした女性が多数当選し、自民党は大敗したのでした。

 その後も自民党は金銭スキャンダルなどにより短命政権を続け、ついに1993年には内閣不信任案に対して自民党から小沢一郎らの造反が多数でて可決、解散総選挙となりました。この衆議院選挙の直前には武村正義らが離脱して新党さきがけを、そして小沢一郎らが離島して新生党を設立することになりました。

 選挙の結果、自民党は第一党ではあったものの過半数を割り込み、日本新党の細川護熙を中心とした連立政権が結成されたころから、与党の座から転がり落ちることになりました。

まとめ

 55年体制とは、保守・革新両勢力の合同によってできた政治状況で、自民党政権を前提とした擬似的な二大政党制であった、ということです。 

例題

 55年体制は、何年間続いたか。

1.約10年間

2.約20年間

3.約30年間

4.約40年間 

解答解説

 55年体制は1955年から1993年までの38年間であるから、4が正解。

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