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藤原北家が発展した理由、説明できますか?並び替え問題頻出!

1、時代背景

桓武天皇による政治改革、その流れの一環としての蔵人頭、検非違使の創設によって天皇の権力が強化され、政治の実権が天皇に移っていきました。天皇権力が強くなったことで天皇との個人的な結びつきが貴族の地位を左右するようになりました。よって、平安時代初期の貴族にとって天皇との結びつきをいかに強くするかが出世の条件となったのです。それではどのようにして貴族達は天皇との連帯を強化していったのでしょうか。

 

2、天皇との結びつき

天皇との結びつきを強くする方法として4つの方法が挙げられます。

(1)文人としての教養

 漢学等の文人としての教養を天皇に見込まれ、貴族として出世するのが一つ目の方法です。嵯峨天皇の時代に活躍した橘逸勢、宇多天皇に徴用された菅原道真が代表格です。

(2)官吏としての能力

 管理としての能力を評価されて天皇との結びつきを強めていった貴族が二つ目のパターンです。具体的には、政務で活躍した人物として菅野真道徳政論争で藤原緒継と論争)、仁明天皇に徴用された伴善男、軍務で功績を挙げた坂上田村麻呂(征夷大将軍)が著名です。

(3)天皇の父方の身内

 賜姓源氏といわれる貴族で、天皇が自身の皇子・皇女に源の姓を与え、臣籍降下させた一族です。代表的な人物として源信(応天門の変で有名)、源高明(安和の変)が挙げられます。

(4)天皇の母方の身内

いわゆる「外戚」と呼ばれるもので、藤原北家はこの方法で天皇との結びつきを強めました。

 

3、藤原北家発展の過程

藤原冬嗣

 冬嗣は有能な官吏として嵯峨天皇から重用され、蔵人頭になります((2)のタイプ)。更に自身の娘を仁明天皇妃とし、外戚の地位を獲得しました((4)のタイプ)。

藤原良房

 冬嗣と同様、良房も外戚の地位を得た上で摂政として権力を奮いました。その一方で、承和の変によって橘逸勢伴健岑を処罰し、応天門の変伴善男を排除しました((1)、(2)のタイプの貴族を排斥)。自らは外戚として天皇との個人的結びつきを強くし、更に他の貴族を排除することで自身の地位を強化していきました。

藤原基経

 基経外戚の地位を得て権勢を奮いました。また、関白就任時に広橘相が起草した詔勅に異議を唱え、橘広相を罷免させたのです(阿衡の紛議)。良房同様、天皇との結びつきを維持した上で、他の貴族を排斥していきました。

・藤原時平

 菅原道真を排斥((1)のタイプ)。この段階で朝廷の上層部を藤原氏と賜姓源氏((3)のタイプ)のみが占めるという状況となりました。

・藤原実頼

安和の変源高明を排除したことで、賜姓源氏も朝廷上層部から姿を消し、藤原氏による他氏排斥が完了しました。

以上で見てきたように藤原家自身は天皇の外戚の立場を得ることで天皇個人との結びつきを強固にする一方、他の貴族が天皇に近づきすぎないよう、巧妙に政敵の追い落としを行いました(承和の変応天門の変菅原道真の左遷安和の変)。①外戚の地位の確保②他氏排斥の二点が藤原北家が発展していった理由なのです。また、他氏排斥の事件は試験でよく問われる部分ですので、しっかりと勉強しましょう。

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